酒井秀行ディレクター × 白田有沙~WonderNotes Inspire~刺激人
白田:ディレクターをやろうと思ったキッカケはなんですか?
酒井:実はこう聞かれた時、答えにいつも困るんです(笑)そんなにはっきりとしたキッカケはないんですよ。
白田:そうなんですか!?
酒井:僕も学生さんの就活の面接をすることがあるんですけども、皆さんすごく動機がしっかりしていて感心するんです。僕はなんとなくだったので。白田さんはいま3年生ですよね?
白田:はい。3年になりました。
酒井:じゃあ今、就職活動してますか?
白田:してます。
酒井:してる!…早いですよね(笑)
白田:大学3年の夏からだったので、半分大学が終わったくらいで就職活動って感じです。
酒井:僕らは、大学3年のその頃は、活動というよりやっと考え始める時期だったと思います。僕の場合は陸上の長距離をやっていたので、1月に箱根駅伝があるんですね。それで、とりあえず箱根駅伝が終わったら考えようって思ってたんです。箱根駅伝が終わって、「さあどうしよう」って考えていた時に、僕は陸上部の寮に住んでたんですけど、隣の部屋の同期がテレビ局のアナウンサー試験を受け始めたんです。「サッカーの日本代表がジョホールバルで…」とか原稿を読む練習が聞こえてきたりして(笑)
白田:(笑)
酒井:ちなみにその彼は、いまTBSでアナウンサーをやっている佐藤文康アナなんですけど。
白田:へぇー。本当に入社されたんですね。
酒井:そうなんですよ。本当に入っちゃったんですよ。
白田:すごい!
酒井:隣にそんなやつがいたもんだから、なんかしなきゃいけないって思って。それで、文康にいろいろ聞いたところ、「マスコミは就職が早い」と、「先にやって終わっちゃうんだよ」って聞いて、「じゃあ俺も受けよう!」って(笑)「エントリーシートはこう書くんだよ」とか教えてもらったりして。そんな感じで見切り発車して、テレビの仕事の魅力って何だろう、とか後追いで考えながら受けてた感じですね。すごく参考にならない話で申し訳ないです(笑)
白田:いえいえ(笑)
酒井:ただ学生の自分にとっては、テレビって、仕事の成果が分かりやすかったんですね、毎日見ているものだから。作ったものを、日本中、世界中の人々に見てもらえる。そんなところに魅力を感じて、いいなぁって思ったんです。テレビを観て感動したことがいっぱいあるし、それを仕事にできたらワクワクするだろうなって、動機はその程度なんですけど。実際入ってみたら、その通りでした。
白田:入社してスポーツ局に入られた理由ですが、ご自身がスポーツをやっていたから、入られたというのはあるんですか?
酒井:最初はどうしてもスポーツというのはなかったんですよ。面接で駅伝のことを聞かれたりしていくなかで、なんとなくスポーツ志望になっていったという感じです。入社する頃には、「スポーツをやりたい」という気持ちが固まって、実際に配属してもらいました。
白田:入社してから AD経験というのは?
酒井:ないんですよ。スポーツ局にはニュース班とか中継班とかある中で、僕は最初ニュース班に入ったのですが、そこでは、新人であってもベテランであっても、いちディレクター、いち記者という扱いでした。入った時から1人のディレクターという扱いを受けて。でも、いきなり出来るわけがないですよね。
白田:そうですよね。
酒井:出来るわけがないんだけども、放送では先輩の作ったものも後輩が作ったものも同じフィールドで放送されますよね。観てる人にとっては、「これは新人が作ったものだから、まぁ大目にみてあげよう」っていうことはないですよね。そのギャップを入った時、ドーンと感じたんです。衝撃は大きかったです。この中でどうやっていけばいいんだという。
白田:確かに観てる人は分からないですもんね。そんな中で初めて作った番組は何ですか?
酒井:『ニュースステーション』という番組のニュースを作るのが中心で、最初はゴルフのニュースだったかな?1年目はありとあらゆるスポーツを取材しましたね。
白田:戸惑うことも多かったと思うんですけども、特に印象に残ったエピソードってありますか?
酒井:同じスポーツニュースのある先輩に、入ってすぐ初めて言われた言葉ですね。「2年以内にここにいる先輩を全員抜け、ただし俺は抜かせない」って。「なんだこの人は!?」って衝撃を受けて、励まされてるんだか、ケンカ売られてるんだか、とんでもないとこ来ちゃったなと思ったんですけど…。
でも、何か心に火がつく感じがあって。そういった環境だったので、少しずつ勉強していこうとか、下積みして頑張っていこうっていうよりも、1日でも早く先輩たちと同じクオリティーで仕事ができなきゃいけない、超えていかなければいけないというつもりでやっていましたね。
白田:すばらしいです。