酒井秀行ディレクター × 白田有沙~WonderNotes Inspire~刺激人
白田:北島選手との出会いはたまたまだったんですね。
酒井:そうなんです。なので、取材する前から思い入れがあったわけではないんですよ。当時の北島選手は、2000年のシドニーオリンピックで4位になった期待の若手だったんですけど、僕自身、当時はそんなに水泳に興味がなくて。
白田:なるほど。北島選手の第一印象ってどんな感じだったんですか?
酒井:2001年の1月に初めて取材に行ったんですけど、その時の第一印象ですべてが変わりましたね。北島選手の第一声が、「プールは暑くて取材が大変じゃないですか?」だったんです。僕はそれがすごく衝撃的で、イマドキの18歳の高校3年生で、オリンピックで注目されて勘違いしていてもおかしくないはずの子が、ポッと来た取材者に対して、まず相手を気遣う一言ですよ。
白田:なかなか言えないですよね。
酒井:こんな子がいるのかって思って。そこからはもう、泳ぎはもちろん人間性も含めて、北島選手のいいところを伝えたい一心で、がむしゃらに取材してました。“自分の選手”という感覚になって。それから北島選手が世界の頂点に駆け上がっていく姿を一番近くで取材して、ともに歩めたことは自分の宝ですね。
白田:常に北島選手の活躍は気になりますか?
酒井:気になりますね。でも一番気になるのは、悪い時なんです。一度彼がどん底に落ちて、「北島はこのまま終わるんじゃないか」って言われた時があって。2004年のアテネオリンピックで金メダルをとったあと、2005年・2006年は全然ダメだったんですよ。モチベーションも上がらなくて、国内の大会でも3位とか4位とか惨敗が続いて。
その試合後、僕がプールサイドにいたときに、プールの反対側から北島選手が肩を落としてうつむいたまま歩いて来たんです。誰も声なんかかけられない状態ですよ。僕も、声をかけるべきか、そっとしておくべきか、って考えているうちに、北島選手のほうからこっちに来て。僕の肩をポンって叩いて「もう、次の新しいスター選手を探したほうがいいよ・・・」って。
白田:悲しいですね…。
酒井:僕の方がショックで頭が真っ白になって…「何言ってんだよ」って言ったつもりが、声が出なくて。でも、その光景を近くで見ていた先輩に「北島選手が何でお前のところに来たのか、ってことだよ」と言われてハッとしたんです。おこがましいんですけど、「何とかしなきゃいけない」って思って。“自分の選手”ですから。
それで、『報道ステーション』の松岡修造さんを連れて、最悪の状態の北島選手を取材しに行ったんです。本人には「康介が復活した時に、こういう苦しみを乗り越えてきたんだっていうことを伝えたいから」って言って。言葉を裏返せば、復活してくれよ!っていう思いを込めて。彼は「引退を考えたりするし、どうにもならないんです」って、どん底の心境を洗いざらい話してくれました。でも最後に、「良くなったらまた取材に来てください」って。これも裏返せば、いつか復活することを約束してくれた気がしますね。
その後、彼は自分の力で這い上がってきて、ご存知の通り北京でも勝ったんです。そういう過程を見てきたから、修造さんと僕が北島選手のことを伝える時は、あの時のことを忘れないようにしようっていうのを合言葉にしてるんですよ。
白田:そうなんですか…。
酒井:つい最近のことでいうと、今年の8月にパンパシ水泳という国際大会がありまして、久々に出てきた北島選手が圧勝したんですよ。それで「僕は今、アメリカで新しい水泳と出会えて楽しくてしょうがない」って言うんです。その発言だけ聞くと、「楽しい」の意味の受け止め方っていろいろあると思うんです。
じゃあ北島選手が言う「楽しい」の意味って何かというと、彼はアテネで頂点を極めた後にどん底を経験した、だから、北京の絶頂の後にもまたどん底がやってくるかもしれない、そうなったら自分が潰れちゃうから、今までのやり方を何か変えなきゃいけない、それで新しいものを求めて、新しいものに出会えた、そういう楽しさなんですよ。
白田:はい。
酒井:ほどほどに気楽にやってエンジョイしてますっていう楽しさじゃない。そういう言葉の1つ1つの意味を大切に、ちゃんと伝えたいと思うんです。
それは、何かの縁で出会った“自分の選手”っていう感覚があるからなんです。この先、彼が水泳をやめた後の第二の人生も気になるし、そうやって続いていく関係が、この仕事の魅力なのかなって思いますね。
白田:私も悪い時こそ取材をしようっていうのは普段すごく感じていて、チームが急上昇した時はどこのメディアも寄ってくるし、取材しようと思うんですけど、その後の落ちた時こそ、行きにくいかもしれないけど取材することで、愛着も何倍にもなるし、その後の上がった時の喜びを一緒に分かち合えますよね。
酒井:そう。いいですよね。一緒ですね(笑)
白田:はい(笑)最近は北島選手と会われたりしましたか?
酒井:つい先日アメリカで会ったんですよ。僕が夏休みの旅行中、ふと北島選手に電話をかけたんです。そしたら北島選手もオフで偶然同じ街にいて再会できたんですよ。「えー!?なんでここにいるの?」ってお互いに(笑)なんかそんなところにも運命的なものを感じながら思い出話になったんですけど、僕の人生にとって、北島選手は本当に大きな存在なんだなって再確認しました。彼も「北島康介を“有言実行”にしてくれたのは酒井君だよ」なんて言ってくれて。
当時はまだ、スポーツ選手で、あまり大きなことを喋る選手がいなかったんです。そこへ彼が登場して、メディアの前で堂々と自信満々に目標を掲げ、それを全部実現させていく。新しいスポーツ選手像を作っていったんですけど、それは「酒井君とやり取りする中で出来上がったものだ」って。「“北島は俺が育てた”くらい言っちゃっていいから!」なんて言ってくれて(笑)なんか、この仕事をやっててよかったって、しみじみ思いましたね。